さすがにこのころには、少なくともSF大会実行委員会内では「暗黒星雲賞」というものの知名度は上がっていました。特にこのDAICON6に関しては、実際に前年に受賞もしていましたので、なおさらです。
この年は開催場所が大阪ということで、当日の個別の企画では少しお手伝いをしていましたが、スタッフとしては働いていません。暗黒星雲賞の性格上、特定の団体に属して動いていると、やりにくいことも出てきそうということもあって自主企画を主催している一般参加者という立場でした。
ちなみに現在もこのスタンスのままで、ファングループ連合会議には属していませんし、正式なSF大会スタッフもしていません。ついでにいうと未だに一般参加者でゲスト扱いはされていません・・・。
さて、この大会では、深夜に「まや丸」という船を借り切って騒ぐ、という企画があり、特別に「まや丸」部門というものを設置しました。見事に今までの3回はすべて部門数が違います。暗黒星雲賞の特徴の一つである、大会に合わせて部門の数が増減するというのは最初からそうでした。
このころになると投票数も増えてきて開票が大変になってきました。このときは確かワープロと投票箱を楽屋に持ってきて、そこの片隅で開票と表彰状作成を同時進行して、何とか表彰式に間に合った覚えがあります。
受賞者が決まったら、スムーズに表彰が出来るようにあらかじめ受賞者を見つけておくということも、このあたりから始めました。ただし見つけるだけで受賞の連絡は基本的にはしていません。
この第3回暗黒星雲賞で忘れてはならないのがゲスト部門の潮健児さんです。潮さんは8月22日の大会終了後一ヶ月弱の9月19日にお亡くなりになってしまわれました。SF大会前日もホテルで具合が悪くなっていたという話もあり、かなりお身体は弱っていたようですが、SF大会では非常に楽しませていただきました。潮さんもファンからの投票で選ばれたということで喜んでいたということで、TVで楽しませてもらった恩を少しでも返せたのかなと思います。
何年か後、高千穂遙先生に「潮健児さんに賞を与えたことにより暗黒星雲賞は権威がついた!」と言われました。これがそののちに幸運部門を作ることになった一因でもあります。
潮健児さんについて詳しくはwikiへ。
コメント